(1925/28〜1998)カンボジアの政治家。本名はサロト=サル。大学卒業後にパリに留学し、帰国後に教師となる。1960(昭和35)年のカンプチア共産党の創設に参加し,1963年に書記長に就任した。1975(昭和40)年に親アメリカのロン=ノル政権を打倒すると全権をにぎり,翌年に首相となった。極端な共産主義による国づくりを進め,反対派や知識人をはじめとする多くの無実の人々を大量に処刑し,餓死者も多く出した。この間,100万規模の死者が出たとされる。1979(昭和54)年にベトナム軍によって政権を追われるとジャングルに逃れ,ゲリラ戦を行った。1998(平成10)年に病死したが,暗殺されたとの説もある。