(1867〜1902)明治時代の俳人・歌人。愛媛県に生まれる。帝国大学(今の東京大学)を中退し,日本新聞社に入社。日清戦争では従軍記者となったが,帰国後肺結核がひどくなり,以後,ほとんどねたきりの生活がつづいた。病気とたたかいながら病床で筆をとり,短歌や俳句の革新をめざした。この間,俳句雑誌『ホトトギス』を創刊するなどして高浜虚子・河東碧梧桐・伊藤左千夫・長塚節らを育て,近代の俳句・短歌に大きな影響をおよぼした。夏目漱石との交友も有名。句集に『寒山落木』,歌集に『竹の里歌』,随筆に『病牀六尺』,歌論書に『歌よみに与ふる書』など。
コーチ
とくに
俳句では
与謝蕪村(
江戸時代後期の
俳人)を,短歌では『
万葉集』を重んじ,また
自然や人生をありのままにえがく写生文を
提唱した。◇「
鶏頭の
十四五本もありぬべし」「くれな
ゐの
二尺伸びたる
薔薇の
芽の
針や
はらかに
春雨の
降る」