(1862〜1922)明治・大正時代の文学者・軍医。本名林太郎。石見国(今の島根県)津和野に生まれた。東京大学医学部を卒業して陸軍軍医となり,ドイツに留学。帰国後,軍医学校や陸軍大学校の教官となり,日清戦争・日露戦争にも従軍した。陸軍軍医総監をやめたのち,帝室博物館長や帝国美術院長などをつとめるかたわら文学に力を入れ,日本の近代文学に大きな足跡をのこした。おもな作品に,訳詩集『於母影』,小説『舞姫』,アンデルセンの作品を翻訳した『即興詩人』など,ヨーロッパの新しいいぶきをふきこもうとした初期の作品のほかに,『ヰタ・セクスアリス』『青年』『雁』,歴史小説の名作『阿部一族』『山椒大夫』『高瀬舟』などがある。◇鷗外は1922(大正11)年7月になくなったが,墓石に肩書きなどを入れず,「森林太郎墓」の文字のほか1字もほるな,と遺言したことはよく知られている。