やぎゅうじゅうべえ【柳生十兵衛】 (1607〜1650)十兵衛(じゅうべえ)は通称(つうしょう)で本名は三厳(みつよし)。江戸(えど)時代の武士(ぶし),剣豪(けんごう)。剣(けん)の実力は父・宗矩(むねのり)をしのぐといわれ,歴史(れきし)上最(もっと)も有名な剣豪(けんごう)の一人。13歳(さい)で徳川家光(とくがわいえみつ)の小姓(こしょう)(警護(けいご)や雑用(ざつよう)を務(つと)める武士(ぶし))となったが,20歳(さい)のとき家光(いえみつ)の怒(いか)りを買って出仕を止められた。その後,再(さい)出仕を許(ゆる)されるまでの12年間,故郷(こきょう)で剣術(けんじゅつ)に励(はげ)んだという。家伝(かでん)の「柳生新陰流(やぎゅうしんかげりゅう)」に関(かん)する数多くの伝書(でんしょ)を著(あらわ)した。