やまうちとよしげ【山内豊信】 (1827〜1872)幕末(ばくまつ)期の土佐藩(とさはん)(高知(こうち)県)藩主(はんしゅ)。号は容堂(ようどう)。1848年,分家から入って山内(やまうち)本家をつぎ,藩主(はんしゅ)となったが,将軍跡(しょうぐんあと)つぎ問題で一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)をおしたため,隠居(いんきょ)させられた。のち,ゆるされて幕政(ばくせい)にくわわり,公武(こうぶ)合体(朝廷(ちょうてい)と幕府(ばくふ)との協力(きょうりょく))運動を進めた。 コーチ 1867年に後藤象二郎(ごとうしょうじろう)の意見をとり入れて15代将軍慶喜(しょうぐんよしのぶ)に大政奉還(たいせいほうかん)を進言,倒幕派(とうばくは)の計画をくじいた。