紀元前4世紀から紀元3世紀ごろまでの弥生土器を使っていた約600年間。大陸からつたわった稲作や金属器の使用が広まったが,石器や木器も多くの人々に使われた(金石併用時代)。土器を作る技術が進歩して高温で焼かれるようになり,簡単な文様の弥生土器が生まれた。また,各地に有力な支配者が出現して小国家が成立した。
〔稲作と金属器〕
(1)稲作の開始…大陸からつたわった稲作は北九州で始まり,西日本から東日本へと広まっていった。人々は稲作に便利な低地に定住し,木製の農具を使って耕作し,石包丁などでイネの穂先をかり取り,きねやうすで脱穀するようになった。人々はたて穴住居に住み,モミなどをたくわえる高床倉庫もつくられた。静岡県の登呂遺跡では住居や水田の跡などが発見され,田下駄・機織りの道具などの木製品が出土した。
(2)金属器の使用…紀元前3世紀ごろ,大陸から青銅器と鉄器がほぼ同時につたわり,日本でも作られるようになった。銅剣・銅鉾・銅鐸・銅鏡などの青銅器は祭りなどのために使われ,鉄器は農具や木製品を作る工具,あるいは武器など実用品として使われた。
〔小国家が誕生〕
稲作がさかんになると,貧富や身分の差が生まれ,「むら」に支配者があらわれた。有力な「むら」が弱い「むら」をしたがえて小国家が成立し,紀元前後には多くの小国家が分立した。1世紀には北九州の小国家奴国の王が,後漢(中国)に使いを送って,皇帝から金印をさずかったといわれる。