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*よしだけんこう【吉田兼好】

(1283?〜1352?)鎌倉(かまくら時代末期(まっき南北朝(なんぼくちょう時代の歌人・随筆(ずいひつ家。正しくは卜部兼好(うらべかねよし吉田兼好(よしだけんこうは後世の俗称(ぞくしょう武士(ぶしとして朝廷(ちょうていに仕えたが,のち出家,山城(やましろ国(京都府(きょうとふ山科小野荘(やましなおののしょうにうつり住んで,随筆(ずいひつ文学の傑作(けっさく徒然草(つれづれぐさ』を書いた。和歌は二条為世(にじょうためよに学び,二条派(にじょうはの和歌四天王の1人としても重んじられ,家集(いえのしゅう個人(こじんの歌集)に『兼好法師集(けんこうほうししゅう』がある。

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