*よしのさくぞう【吉野作造】 (1878〜1933)大正・昭和時代の代表的(だいひょうてき)な政治(せいじ)学者。宮城(みやぎ)県の出身。東京(とうきょう)帝国(ていこく)大学を卒業(そつぎょう)後,母校の教授(きょうじゅ)となって政治史(せいじし)を担当(たんとう)。やがて,雑誌(ざっし)に政治評論(せいじひょうろん)を発表するようになり,民本主義(みんぽんしゅぎ)(一種(いっしゅ)のデモクラシー)を説(と)いて普通選挙(ふつうせんきょ)や政党内閣(せいとうないかく)の実現(じつげん)を主張(しゅちょう)した。のち,大学をやめて朝日(あさひ)新聞社に入ったが,かれの講演内容(こうえんないよう)が政府(せいふ)に警戒(けいかい)されて4か月で退社(たいしゃ)。母校の講師(こうし)をつとめるかたわら,明治(めいじ)文化史(し)の研究に力を注いだ。