らいさんよう【頼山陽】 (1780〜1832)江戸(えど)時代後期の漢詩人・儒学(じゅがく)者・歴史(れきし)家。大阪江戸堀(おおさかえどぼり)に儒学(じゅがく)者頼春水(らいしゅんすい)の長男として生まれる。名は襄(のぼる)。2歳(さい)で広島(ひろしま)に移(うつ)り,叔父(おじ)の頼杏坪(らいきょうへい)に学ぶ。その後,江戸(えど)に遊学し帰国するが,神経衰弱(しんけいすいじゃく)におちいり脱藩(だっぱん),つれもどされて自宅(じたく)に監禁(かんきん)される。この間に代表作『日本外史(にほんがいし)』の執筆(しっぴつ)を始める。のち監禁(かんきん)を許(ゆる)されて京に移(うつ)り,文人・学者との交わりのかたわら塾(じゅく)をいとなみ弟子を育てる。◇3男は安政(あんせい)の大獄(たいごく)でとらえられ刑死(けいし)した頼三樹三郎(らいみきさぶろう)。