ラクシュミー=バーイー (1835〜1858)「インドのジャンヌ=ダルク」とたたえられる北インド,ジャーンシー国の王妃(おうひ)。国王は世を去り,国はイギリスの支配(しはい)下にあったが,1857年5月にインドの大反乱(はんらん)がおこるとジャーンシーの兵士(へいし)たちも反乱(はんらん)に参加(さんか)し,イギリス勢力(せいりょく)を追放,かの女は国の指導(しどう)者となった。翌年(よくねん)3月イギリス軍(ぐん)が反撃(はんげき)を開始すると城(しろ)を脱出(だっしゅつ)して各地(かくち)を転戦(てんせん)し,イギリス軍(ぐん)を苦しめたが,6月はなばなしい戦(たたか)いのすえに戦死(せんし)した。