鎖国下の江戸時代,オランダ語によって西洋の学術や文化を研究した学問。洋学ともよぶ。
【医学を中心に発展】
日本に密入国したイタリア人宣教師シドッチを取り調べた新井白石は,西洋の事情を知って『西洋紀聞』をあらわし,世界の地理・産物・風俗などを書いて,西洋の研究の糸口となった。第8代将軍徳川吉宗が実際に役だつ学問(実学)の知識をとりいれるために,キリスト教に関係のない漢訳洋書の輸入を許可してから,医学を中心に自然科学の研究がさかんになった。そして,とくに18世紀後半の田沼時代には前野良沢と杉田玄白*らがオランダ語の解剖書を翻訳し,1774年に『解体新書』を出版するにおよんで,蘭学は急速に発展した。のちにシーボルトが来日して,長崎郊外に鳴滝塾を開き,高野長英ら多くの門人を育て,医学や西洋の学問を広めた。こうして,医学・暦学・天文学・動植物学などが発達し,多くの蘭学者が生まれた。しかし,幕府は封建制批判が出るのをおそれて,しだいに蘭学を圧迫するようになった。
【おもな蘭学者】
青木昆陽は徳川吉宗の命令でオランダ語を学び,サツマイモの栽培を人々にすすめたことは有名。また,杉田玄白は『解体新書』を出版したほか,翻訳の苦心談を『蘭学事始』に発表している。平賀源内は日本最初のエレキテル(摩擦起電機)や寒暖計を製作し,伊能忠敬*は天文・測量術を学んで日本全国の沿岸を測量し,正確な日本地図を完成させた。また,高野長英・渡辺崋山らは幕府の鎖国政策を批判して処罰されている。
コーチ
蘭学の発達と同時に日本古代の精神をさぐる国学も発達した。