(1924〜1963)昭和時代の力士,プロレスラー。日本名は百田光浩,朝鮮名は金信洛。現在の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に生まれ,長崎県大村市で育つ。1940(昭和15)年に大相撲の二所ノ関部屋に入門し,初土俵をふむ。関脇まで昇進するが,引退してプロレスリングへ転向し,1953(昭和28)年に日本プロレスリング協会を設立した。「空手チョップ」を武器に大きなアメリカのレスラーたちをなぎ倒す姿は敗戦によって暗く落ち込んでいた日本中を熱狂させ,国民的英雄として活躍した。1963(昭和38)年に暴力団員にナイフで刺されて,39歳の若さで死去した。