(1924〜2011)アメリカ合衆国の映画監督。アメリカ・フィラデルフィアでポーランド系ユダヤ人の両親のもとに生まれる。家族でニューヨークに移住。両親が演劇関係者だったため4歳でラジオに子役として出演,5歳で初舞台,10代でブロードウェイの舞台にも出演している。コロンビア大学入学後,第二次世界大戦に従軍。終戦後の1950年代,俳優活動にあきたらず演出家に転向。テレビドラマの売れっ子演出家になったが57年,劇場映画『十二人の怒れる男』で監督デビューした。この初監督作品でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞,いちやく人気監督の1人となった。ニューヨークを拠点に,骨太で,社会性の強い作品をつぎつぎに発表,高い評価を受け,アメリカを代表する映画監督といわれた。代表作に『未知への飛行』(1964年)『セルピコ』(73年)『オリエント急行殺人事件』(74年)『狼たちの午後』(75年)『ネットワーク』(76年)『評決』(82年)などがある。1990年代は不振で,過去の人のあつかいを受けたが,2007年の『その土曜日,7時58分』が絶賛され,健在ぶりを示した。