ロシアの,皇帝専制政治の打倒から,世界最初の社会主義政権の樹立までの連続的な革命。
〔第1革命〕
日露戦争さなかの1905年,首都ペテルブルク(現サンクトペテルブルク)で「パンと平和」をもとめて皇帝に請願する労働者・市民に対して軍隊が発砲し,2000〜4000人の死傷者を出すという「血の日曜日」事件がおこった。労働者はソビエト(代表会議会)をつくり,まずしい農民も立ちあがった。このため政府は戦争をつづけることを断念,国会の開設を約束した。
〔三月革命〕
第一次世界大戦でロシアの国民生活は圧迫され,労働者のストライキがあいついだ。大戦中の1917年3月,首都ペテルブルクのストライキは,軍の一部や市民をまきこみ大規模なものとなった。ソビエトがこれを指導したが,議会の代表者による臨時政府がつくられ,ニコライ2世は退位しロマノフ朝はたおれた。臨時政府は集会・ストライキなどの自由を約束したが,戦争はつづけた。
〔十一月革命〕
三月革命後,ソビエトは戦争の継続に同調したが,1917年4月ボルシェビキの指導者レーニンが亡命先のスイスから帰国,戦争の中止と社会主義革命の断行を指示した。「パンと平和と土地を」とうったえるボルシェビキは人々の支持を集め,首都とモスクワのソビエトで優勢となり,11月7日武装して決起し臨時政府をたおした。翌日,レーニンが指揮するソビエトが権力をにぎり,戦争の中止・地主制の廃止・労働者の生産管理・ロシア内諸民族の自決権を宣言。さらに1918年1月には,ボルシェビキがソビエトから反対派をおい出して,独裁を行い,社会主義化をすすめ,赤軍をつくって国の内外の反革命軍とたたかった。レーニンははじめ,ヨーロッパ各国にも革命がひろがると期待したが実現しなかった。◇1922年12月,ロシアなど4つのソビエト共和国からなるソビエト社会主義共和国連邦の成立が宣言された。
コーチ
三月革命・十一月革命は,ロシア暦から二月革命・十月革命ともよび,あわせてロシア革命という。革命政府に反対して内乱がおき,イギリスなど外国軍がこれを支援したが,日本のシベリア出兵もその1つ(干渉戦争)。