わいはんないかく【隈板内閣】 1898(明治(めいじ)31)年,大隈重信(おおくましげのぶ)*が首相,板垣退助(いたがきたいすけ)*が内務大臣(ないむだいじん)となって組閣(そかく)した,わが国最初(さいしょ)の政党内閣(せいとうないかく)。基盤(きばん)は憲政党(けんせいとう)(進歩党(とう)・自由党(とう)が合同)であったが,党内抗争(とうないこうそう)がはげしく,4か月でたおれた。