Case 33 盛れてる自分が好き/わが家のSNSトラブル ~ユカの事件簿~
みんなで撮ることが楽しいからやっているわけで、わたしも顔を知っているはずの子たちですが、目が大きく鼻が細く加工された画像はみな同じ顔に見えてしまいます。顔の記録を残そうとしているわけではないにしても、何年かたってこの画像を見かえしたとき、ユカはだれが写っているのかわかるのでしょうか。
思い出の写真だけど、だれなのかわからない
娘のユカ(大学生)が、高校時代の友だちと会ってきました。
「楽しかった! みんなで撮ったよ!」
と見せてくれたのは、顔の一部を動物にしたり、お互いの顔を入れ替えたりできる人気のアプリで撮ったたくさんの画像です。
楽しそうなのは伝わってきますが、鼻が猫だったりヒゲがついていたり、目が大きくなっていたりと、どれも加工が入っています。
ユカが、「これが○○ちゃん、こっちは××ちゃん」と解説してくれますが、ピンときません。わたしも顔を知っているはずの子たちですが、目が大きく鼻が細く加工された画像はみな同じ顔に見えてしまいます。
みんなで撮ることが楽しいからやっているわけで、顔の記録を残そうとしているわけではないにしても、何年かたってこの画像を見かえしたとき、ユカはだれが写っているのかわかるのでしょうか。
盛れてる自撮りでイイネがほしい
加工した顔写真はネットにもたくさん上げられています。
Twitterで、「#1mmでもいいと思ったらRT」や「#雰囲気嫌いじゃないよって人RT」といったハッシュタグを見たことがありますか? 「#中学生」や「#高校生」というタグといっしょに検索してみると、子どもたちが自撮りの画像を上げて、イイネやフォローを求めるツイートがたくさん出てきます。
公開している自撮りは、手で顔の一部を隠したり、アプリやTwitterのツールで顔を加工した画像がほとんどです。名前や学校名などを出さなければ、知っている人以外はこの画像から個人の特定はできないでしょう。子どもたちは盛れた(いい写りをしている)自撮りにイイネやフォローをもらって自己肯定感を得ているように見えます。
でも、だれかわからないから安全とは言えません。会おうとしつこく誘ってくるリプライもあるし、背景やツイートからの類推で住所などがわかってしまう可能性もあります。素の顔を出さなければいいというものではないのです。
これらの画像を見ると、画像を公開するリスクについてくりかえし子どもに教えないといけないとあらためて感じます。
素の自分も、盛れた自分も、自分
今の子どもたちにとって、撮り方を工夫したり、加工して理想の自分に近づけることは、特別なことではありません。理想に近いものは「よく盛れた」ということになります。「盛れた」はある意味、素の自分との落差が大きいことのはずですが……。
本人が変わらなくても画像が盛れていたら満足という流れは、プリクラあたりから始まったようですが、盛れてる画像はひとつの自己表現としてすっかり根を下ろしています。
そして、加工画像につくイイネも、自分へのイイネだと子どもたちは感じています。
さらに、加工アプリの大流行で、実名のSNSでも盛れた画像、盛れた自分しか出さない、そんな極端な状態も起こりつつあります。
美容整形より画像加工の方が安全ですし、化粧も加工の一種なのでわたしも偉そうなことは言えません。でも子どもたちが半生を振り返って(振り返るためのツールはスマホ画像やSNSでしょう)、加工でだれだかわからない画像だらけ……というのは、後悔しそうな予感がします。
素の自分と盛れた自分を両方楽しめる現代の子どもたちが、ふたつの自分とどのように折り合いをつけていくのかはまだよくわかりません。
でも、加工画像がみな同じ顔に感じられるわたしは、盛れた自分がどんなに素敵に思えても、素の自分がなくなったら意味がないことを子どもたちに忘れないでもらいたいと願います。
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