まちびけし【町火消】 江戸(えど)時代中期,明暦(めいれき)の大火(1657年)後,町奉行(まちぶぎょう)の監督(かんとく)のもとで江戸(えど)に組織(そしき)された民間消防隊(みんかんしょうぼうたい)。1730年にいろは47組,のち本組がくわわり48組となった。担当区域(たんとうくいき)ははじめは町家にかぎられたが,のち武家(ぶけ)の消防隊(しょうぼうたい)である定(じょう)火消・大名火消の範囲(はんい)にまで進出するようになった。コーチ 町火消は,享保(きょうほう)の改革(かいかく)のさいに設置(せっち)された目安箱(めやすばこ)への投書によって,小石川養生所(こいしかわようじょうしょ)とともにもうけられたもの。