
日々のニュースの中に「学び」のきっかけがあります。新聞を読みながら、テレビを見ながら、食卓やリビングでどう話しかけたら、わが子の知的好奇心にスイッチが入るでしょうか。ジャーナリストの一色清さんがヒントを教えます。
※写真は、中国軍機が自衛隊機にレーダー照射について記者団に説明する小泉進次郎・防衛大臣=2025年12月7日、防衛省内、防衛省提供
おさまらない中国の反発
台湾有事に関する高市早苗首相の国会答弁に対する、中国の反発がおさまりません。日本への渡航自粛の呼びかけ、日本産水産物の輸入再開の事実上停止、日本関連のイベントの中止などがおこなわれています。中国軍機による自衛隊機へのレーダー照射もありました。そうした中、言論においても戦中、戦後の歴史を持ち出して、日本への批判を強めています。国際社会に向けて、中国の主張を訴えることで、日本を孤立させようとする意図が感じられます。
ただ、中国の主張は第2次世界大戦における国際関係の歴史を知らなければ、理解できません。特に、節目となる宣言や条約の意味が重要になります。今回は、論争の中に出てくるカイロ宣言、ポツダム宣言、サンフランシスコ講和条約、旧敵国条項について説明します。
過去にも出された様々な宣言や条約
中国は今回、国連のグテーレス事務総長あてに「日本が台湾問題に武力介入する可能性を示唆したこと」を強く批判したうえで「カイロ宣言やポツダム宣言などが戦後の国際秩序の重要な要素」とする書簡を送り、「台湾の中国への回帰」の正当性を主張しています。
カイロ宣言は、第2次世界大戦中の1943年11月にエジプトのカイロで開かれた3者会談を受けて出された宣言です。3者とは、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、中華民国の蒋介石主席です。3者は日本やドイツと戦う連合国側の指導者で、会議では日本に対する政策が話し合われました。そして出された宣言は、「日本は満州、台湾、澎湖諸島を中国に返還する」「日本は1914年以来獲得したすべての太平洋上の島嶼を手放す」「朝鮮は、適当な時期に独立すべきである」などというものでした。
ポツダム宣言は45年7月にドイツのポツダムで開かれた会議の最中に出された日本に降伏を勧告する宣言です。会議に参加したのは、連合国側のアメリカのトルーマン大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連(今のロシアなど)のスターリン書記長で、連合国の戦争の勝利が確定的になっている状況で戦後の処理について話し合いました。ポツダム宣言はトルーマン、チャーチル、蒋介石の連名で出されました。ソ連はこの時点ではまだ対日戦争に加わっていなかったのですが、その後参戦して宣言に加わりました。日本は45年8月14日に宣言の受諾を決定し、無条件降伏をしました。
カイロ宣言とポツダム宣言は履行されるべき、という中国の主張
中国が重視しているのはポツダム宣言の8項で、「カイロ宣言は履行されるべき」「日本の主権が及ぶのは、本州、北海道、九州、四国と諸小島に限られる」と書かれている点です。
72年に日本と中華人民共和国(中国)が国交回復するための首脳会談に際して出された日中共同声明では、中国側が「台湾は中華人民共和国の領土の不可分の一部」と表明し、日本側はその中国の立場を「十分理解し尊重する」としたうえで、「ポツダム宣言第8項に基づく立場を堅持する」としました。
中国は、カイロ宣言とポツダム宣言によって、「日本は台湾を中国に返還すること」になっているとしており、「中国とは中華人民共和国のことだ」と主張しているのです。特に新しい主張ではなく、確認の意味と考えられます。
サンフランシスコ平和条約についても中国側は言及しています。高市首相は国会で「(日本が)台湾の法的地位を認定する立場にはない」ことの根拠として、サンフランシスコ平和条約ですべての権限を放棄している点を挙げました。それに対し、在日中国大使館はサンフランシスコ平和条約について「不法かつ無効である」という主張をXに投稿しました。
サンフランシスコ平和条約は、51年にアメリカのサンフランシスコでおこなわれた会議で、日本と連合国48カ国が署名した条約です。これによって敗戦後にアメリカに占領されていた日本が主権を回復しました。ただ、49年に誕生した中華人民共和国は会議に参加せず、署名していません。戦後、連合国内にはアメリカを中心とする自由主義陣営とソ連を中心とする社会主義陣営との対立が生まれていました。50年には朝鮮戦争が始まり、韓国を支援するアメリカなどと北朝鮮を支援するソ連や中国の反目は深まっていました。こうしたことからソ連や中国は条約に署名しなかったのです。
中国はカイロ宣言とポツダム宣言では「台湾は中国に返還される」となっているのに、サンフランシスコ条約では台湾の最終的な帰属先を定めていないとして、サンフランシスコ平和条約の無効を主張しているのです。
まだまだ終わっていない「戦後」
在日本中国大使館のXは、国連憲章の「旧敵国条項」にも触れています。国連は第2次世界大戦で勝利した連合国が主導して45年に設立されており、国連憲章に旧敵国が不利に扱われる条項がいくつかあります。もっともあからさまなのは第53条1項で、「旧敵国が戦争により確定した事項を無効または排除した場合、安全保障理事会の許可がなくても軍事的制裁を課すことが容認される」というものです。敵国がどこかは具体的には書いていませんが、日本、ドイツ、イタリアなどの枢軸国とよばれた国々と考えられます。
しかし、旧敵国条項については95年の国連総会で「時代遅れとなり、すでに死文化したとの認識を規定した決議」が採択されています。中国もこの決議に賛成しています。ただ、旧敵国条項は今も国連憲章から削除はされていません。在日中国大使館は「死文化した」条項を引用して、日本を威嚇しようとしたとみられます。
2025年は戦後80年にあたる年でした。今の国際関係は80年前を起点とした秩序をもとにしてできています。歴史の教科書でみるしかなかったような言葉が今も国同士の論争の種になっているのをみると、戦後は終わっていないということを感じます。










