集団が苦手な子、得意な子…それぞれが“自分の居場所”を見つけるヒント【伊沢式スクールライフ-第5回-】

遠足、校外学習、運動会、全校集会など、学校生活には「集団生活」がつきもの。みんなと行動をともにするのが楽しい子もいれば、苦手な子もいるかもしれません。
この連載では「学校生活」をテーマに、QuizKnockの伊沢さんに、子どもの頃の思い出とともに、子どもたちや保護者に伝えたいメッセージをうかがっていきます。
第5回の今回は「集団行動」について。「集団行動から学ぶこともあるけれど、無理につき合い過ぎなくてもいいのでは」と言う伊沢さん。学校生活における集団行動への関わり方について聞きました。
基本的には集団を引っ張っていきたい。でも強制されるのは苦手
学校生活の「集団行動」に対して、苦手意識はなかったかな。むしろすすんでやっていたタイプかもしれません。
たとえば文化祭や運動会がそう。学級委員もかなり長い間やっていたし、部活動でもみんなを引っ張っていく側。生徒が自発的に運営に携わるような集団行動は好きでした。
とはいえ、「みんながやってるからやる」とか「連帯責任」みたいな考え方は苦手。もともと、大勢でいることそのものは得意じゃなかったので、自分に役割がない遠足なんかは理由をつけて休むこともありましたね。
役割があるかどうかの違いなのかな。自分の存在意義がない集団行動が嫌だったのかもしれません。だいぶ傲慢ですけど(笑)。
子ども心に、何もしていないボーッとした時間があると、何のために自分がここにいるんだろうとモヤモヤする自分がいて。
段取りが悪くて集団のルールが乱れていくことに、心理的なプレッシャーを感じていたところもあります。
僕の通っていた学校がだいぶ厳しかったので、「あとで怒られる!」という怖さもあったとは思います。
「つまらないと思ったものが案外そうではない」に気づくきっかけに
はじめにお話ししたように、集団行動には積極的に関わるタイプだったので、そこから学んだこともたくさんあります。
自分があとから気づけた良さは「参加してみたら、意外とおもしろかった」という体験が得られるということ。強制的な集団行動という形から入った経験が、好奇心の扉を開いてくれることってけっこうありますよね。
大人になってからだと、しぶしぶ出席した飲み会が案外おもしろかったとかね(笑)。
だから1回は、僕の言葉をお守りにチャレンジしてみる、というのもありかも。それでつまらなかったら次は少しスイッチをオフにして、別の参加の仕方を考えるとか。

僕自身は、集団行動をまわす側の役割を担うことが多かったので、いろんな人とコミュニケーションをとっていく経験は財産になっています。
たとえば、集団行動が苦手というクラスメイトに対して、「ごめん。クラス競技だけは人数が足りないとどうしようもないから出てよ。その代わりに、ここの部分は俺らがやっとくからさ」といった感じで、全部を巻き込まないような工夫をしていました。
消極的参加という選択肢が、自分を守るひとつの大きな手段になる
ひと口に集団行動といっても、ものすごく参加したくないもの、その場にいるという形で参加できるもの、参加してもいいなと思えるもの、いろいろあると思います。
そのすべてに全力でおつき合いする必要はありません。大人だって自分の気持ちの濃淡でつき合い方を変えていますから。

正直な話、社会に出ても集団行動ばかりです。そう思うと集団行動は、学校でできる体験の中でも大きな価値があると思うし、参加できるなら参加したほうがいいのかな、と。
ただ、集団行動のすべてが「絶対にやらなくてはならないこと」とは限らない気もします。
苦手な子は、負担が減らせるといいですよね。その判断を子ども自身に委ねるのは難しいので、大人が声をかけてあげる必要があるとは思いますが。
苦手な子に対して無理やり参加させない、完全参加を強制せず、「その場にいるだけ」という消極的な参加方法も許容できるといいのかな、と。

たとえば、球技大会のような場で見学として参加するとか、全校で合唱するときに積極的には声を出さないとか。
「その場にはいるけど気持ちのスイッチはオフ」みたいな考え方は別に悪いことじゃないし、周りもそれを許容していけるといいですよね。
学校は社会の中でも特に強制力の強い環境ですから、余計に。
無理してつき合い過ぎる必要はないし、参加の仕方は自分で決めていい。もしかしたら、楽しく有意義な時間が過ごせるかもしれない。そんな可能性も感じながら集団行動に向き合ってもらえたらなと思います。
取材・文/森下真理 編集/石橋沙織(キッズネット) 写真/鈴木謙介 デザイン/曽矢裕子













