(1436〜1490)室町幕府の第8代将軍。6代将軍義教の子。1449年に将軍職をつぎ,はじめは政治に力を入れたが,のちには夫人の日野富子や側近に政治をまかせてしまった。そのころ,京都を中心にはげしい一揆が幕府政治をゆり動かし,義政1代でも徳政令が13回も出されるありさまであった。やがて将軍の跡つぎ争いなどがきっかけとなって,1467年に応仁の乱がおこり,政治はみだれ,幕府の勢いはおとろえた。
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コーチ
応仁の
乱のさなか,
将軍職を子の
義尚にゆずって
引退。
京都東山の
山荘に住み,
銀閣をたて,
能楽・茶の湯などの
趣味に明けくれたため,
東山文化がさかえた。