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あしだひとし【芦田均】

(1887〜1959)昭和時代の官僚(かんりょう政治家(せいじか,第47代内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん京都府(きょうとふ生まれ。東京(とうきょう帝国(ていこく大学卒業(そつぎょう後,1912(大正元)年,外務省(がいむしょうに入る。大使館書記官(しょきかん外務事務官(がいむじむかん,大使館参事官(さんじかんなどを歴任(れきにんしたのち,1932(昭和7)年,立憲政友(りっけんせいゆう公認候補(こうにんこうほとして衆議院選挙(しゅうぎいんせんきょ初当選(はつとうせん。第二次世界大戦(たいせん中は軍部(ぐんぶ批判的(ひはんてきなリベラルな立場をつらぬく。終戦(しゅうせん後,日本自由(とう結党(けっとう参加(さんか。45年,幣原喜重郎(しではらきじゅうろう内閣(ないかく厚生大臣(こうせいだいじん就任(しゅうにん,46年に衆議院(しゅうぎいん帝国憲法改正(ていこくけんぽうかいせい委員会委員長に任命(にんめいされ新憲法制定(けんぽうせいてい(かかわる。このとき第9(じょうに「芦田修正(あしだしゅうせい」とよばれる文言(もんごん挿入(そうにゅうし,「平和憲法(けんぽう」のもとでも自衛(じえいのための軍備(ぐんび可能(かのうというふくみを残した。47年,民主党(みんしゅとう結党(けっとう参加(さんかして総裁(そうさい就任(しゅうにん片山哲(かたやまてつ内閣(ないかく外務大臣(がいむだいじん(つとめたのち,48年3月,片山内閣(かたやまないかく退陣(たいじんをうけて同じ民主党(みんしゅとう・社会(とう国民協同党(こくみんきょうどうとうの3(とう連立内閣(れんりつないかく総理大臣(そうりだいじん就任(しゅうにん外資導入(がいしどうにゅうによりインフレを助長し,公務(こうむ員のスト(けん(うばうなどGHQ(ジーエイチキュー命令(めいれい忠実(ちゅうじつに実行した。同年10月,昭和電工(しょうわでんこう贈賄(ぞうわいにからむ疑惑(ぎわくによって内閣総辞職(ないかくそうじしょく

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