メニュー閉じる

あてがわのしょうみんのそじょう【阿氐河荘民の訴状】

1275年,高野山(こうやさん(りょう荘園(しょうえんである紀伊(きい国(和歌山(わかやま県)阿氐河荘(あてがわのしょう農民(のうみんたちが領主(りょうしゅにさし出したカタカナ書きの訴状(そじょう領主(りょうしゅにあたる高野山(こうやさん木材納入(もくざいのうにゅうがおくれた理由として,地頭(じとう労働者(ろうどうしゃ徴発(ちょうはつされたうえ,逃亡(とうぼうした農民(のうみんの土地にも麦をまけと強制(きょうせいされ,材木(ざいもくを切り出せないとうったえている。

コーチ

 鎌倉(かまくら時代の農民(のうみんの生活を知るうえで貴重(きちょう史料(しりょうである。

史料

阿氐河荘民(あてがわのしょうみん訴状(そじょう

((がわ百姓(ひゃくしょうラツツシ(ミ)テ言上一.ヲンザイモク(御材木(ございもく)ノコト,アルイワヂトウ(地頭)ノキヤウジヤウ(京上),アルイワゲカフ(下向)トマウシ,カクノゴトクノ人プ(人夫)ヲ,ヂトウ(地頭)ノカタエセメツカワレ(そうらヘバ,テマヒマ(そうらワズ(そうろう,ソノノコリ,ワヅカニモレノコリテ(そうろう人プ(人夫)ヲ,ザイモクノヤマイダシ(山出)エ,イデタテ(出立)(そうらエバ,テウモウ(逃亡(とうぼう)ノアト((あと)ノムギ(麦)マケト(そうらえテ,……」(以下略(いかりゃく

PAGETOP