アテルイ【阿弖流為】 (?〜 802)奈良(なら)時代後期〜平安時代初期(しょき)の蝦夷(えみし)の族長。漢字で「阿弖流為」と書かれる。東北地方に侵攻(しんこう)した朝廷(ちょうてい)軍(ぐん)に,蝦夷(えみし)をひきいて頑強(がんきょう)に抵抗(ていこう)し,789(延暦(えんりゃく)8)年の衣川(ころもがわ)の戦(たたか)いでは朝廷軍(ちょうていぐん)に大きな損害(そんがい)をあたえた。 802(延暦(えんりゃく)21)年,坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)に降伏(こうふく),身柄(みがら)は京都(きょうと)に送られた。田村麻呂(たむらまろ)はアテルイの助命を嘆願(たんがん)したが,朝廷(ちょうてい)は聞き入れず河内(かわち)国(大阪府(おおさかふ))で処刑(しょけい)された。