(1954~2022) 平成・令和時代の政治家、第90・96~98代内閣総理大臣。東京都で生まれる。祖父は岸信介、大叔父は佐藤栄作、父は首相候補だった安倍晋太郎という政治一家で育つ。成蹊大学を卒業後、アメリカに留学。帰国して会社勤めを経た後、1982(昭和57)年から父・晋太郎の下で秘書官等を務める。1993(平成5)年、91年に急死した父の地盤を受け継ぎ、衆議院議員選挙で初当選。2005年に第3次小泉純一郎改造内閣で内閣官房長官として初入閣。06年に自民党総裁に指名され、戦後生まれとして初の内閣総理大臣に就任するが、07年に体調の悪化などを理由に辞職した。2012年に民主党を中心とした政権が崩壊すると内閣総理大臣に返り咲き、第2次安倍内閣が発足した。これ以降、景気回復を最優先課題とし、経済政策アベノミクスを進めた。また、日米同盟強化のために集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法を成立させた。日本国憲法の改正や北朝鮮による日本人拉致問題の解決にも力を尽くしたが、2020(令和2)年に持病の再発を理由に辞任した。
安倍首相の首相連続在職日数(2822日)と通算在職日数(3188日)は歴代最長。
その後も最大派閥安倍派を率い党内で大きな影響力をもったが、2022年に参議院議員選挙の街頭演説中に銃撃され、死亡した。