ありまはるのぶ【有馬晴信】 (1567?〜1612)安土桃山(あづちももやま)時代の武将(ぶしょう)。肥前(ひぜん)国(長崎(ながさき)県)有馬(ありま)の領主(りょうしゅ)で,キリシタン大名として知られた。洗礼(せんれい)名(キリスト教徒(と)としての名前)はプロタジオ。1582年,大村純忠(おおむらすみただ)・大友宗麟(おおともそうりん)とともに天正少年使節(てんしょうしょうねんしせつ)をつかわした。また,豊臣秀吉(とよとみひでよし)に仕え,九州平定(へいてい)や朝鮮出兵(ちょうせんしゅっぺい)に従軍(じゅうぐん)した。のちに江戸幕府(えどばくふ)のキリシタン禁教令(きんきょうれい)にあい,罪(つみ)を得(え)て甲斐(かい)(山梨(やまなし)県)に流されて刑死(けいし)した。