(1865〜1914)明治時代に孤児救済につくした社会事業家。宮崎県に生まれる。医師荻原百平の影響を受け,キリスト教徒となり,救いをもとめる人たちのためにはたらこうと医師になる。1887(明治20)年に岡山で医師としてはたらくかたわら,寺を借りて孤児の教育をはじめ,岡山孤児院を作った。1894(明治27)年に故郷の宮崎県に養護施設を移し,理想郷の建設を試みる。1888年には,濃尾地震による震災孤児を,1906(明治39年)年の東北大凶作では捨てられた子どもを養護施設に収容し,家族式教育を導入するなどして,生涯をめぐまれない子どもの教育にささげた。