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**いたがきたいすけ【板垣退助】

(1837〜1919)明治(めいじ時代の政治(せいじ家。自由(とう創立(そうりつ者。土佐藩(とさはん高知(こうち県)の出身で,戊辰戦争(ぼしんせんそうでは政府軍参謀(せいふぐんさんぼうとして会津戦争(あいづせんそうに手がらを立てた。このあと,明治政府(めいじせいふ参議(さんぎとなったが,征韓論(せいかんろんがやぶれて政府(せいふを去り,1874(明治(めいじ7)年,後藤象二郎(ごとうしょうじろう副島種臣(そえじまたねおみらと民撰議院設立建白書(みんせんぎいんせつりつけんぱくしょ政府(せいふ提出(ていしゅつし,自由民権(みんけん運動をおこした。このあと,高知(こうち立志社(りっししゃを,ついで大阪(おおさかに全国組織(そしきとしての愛国社(あいこくしゃ(のちに国会期成同盟(きせいどうめい改称(かいしょう)を結成(けっせい。1881年に自由党(じゆうとう結成(けっせいされると総理(そうりとなり,翌年(よくねん岐阜(ぎふ遊説(ゆうぜい中に暴漢(ぼうかんにおそわれて負傷(ふしょうした。過激(かげきになってきた自由民権(みんけん運動を指導(しどうできなくなり,1884年に自由(とう解散(かいさん。のち立憲(りっけん自由(とう総理(そうりとなり,また1898年には大隈重信(おおくましげのぶ憲政党内閣(けんせいとうないかくをつくった。◇立憲政友会(りっけんせいゆうかい結成(けっせい後は政界から退き,社会事業などにつくした。

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