いとうじんさい【伊藤仁斎】 (1627〜1705)江戸(えど)時代前期の儒学(じゅがく)者。京都(きょうと)の木材(もくざい)商の子。28歳(さい)ごろから家業を弟にゆずって学問に熱中(ねっちゅう)し,はじめ朱子学(しゅしがく)(中国の宋(そう)代に完成(かんせい)した儒学(じゅがく))にしたがったが,その説(せつ)が孔子(こうし)・孟子(もうし)の意を正しくつたえていないとして批判(ひはん)。『論語(ろんご)』や『孟子(もうし)』の研究に力を入れ,京都堀川(きょうとほりかわ)の自宅(じたく)に古義堂(こぎどう)という塾(じゅく)を開いて子弟の教育にあたり,古義学(こぎがく)という独自(どくじ)の学問をつくりだした。◇門人は3000人におよび,古義学派(こぎがくは)・堀川学派(ほりかわがくは)と称(しょう)された。子の東涯(とうがい)(1670〜1736)もすぐれた学者として知られた。