いぬかいつよしないかく【犬養毅内閣】 1931(昭和6)年に成立(せいりつ)し,翌年(よくねん)の五(ご)・一五事件(いちごじけん)によって倒(たお)された内閣(ないかく)。1931(昭和6)年,犬養(いぬかい)は立憲政友会(りっけんせいゆうかい)総裁(そうさい)として,満洲事変(まんしゅうじへん)後の混乱収拾(こんらんしゅうしゅう)のため内閣(ないかく)を組織(そしき)した。この内閣(ないかく)は軍部(ぐんぶ)の一部からの反発をかい,1932(昭和7)年,海軍(かいぐん)青年将校(しょうこう)による五(ご)・一五事件(いちごじけん)がおきる。犬養(いぬかい)首相は射殺(しゃさつ)され死亡(しぼう),戦前(せんぜん)の政党内閣(せいとうないかく)は犬養(いぬかい)内閣で終わり,以後議会政治(ぎかいせいじ)は弱体化し軍部(ぐんぶ)の力が強まった。