(1555〜1623)安土桃山時代・江戸時代初期の武将,米沢(山形県)藩の祖。父は長尾政景,母は上杉謙信の姉。通称喜平次。父の死後,叔父謙信に養育され,のち養子になる。謙信の死後,1579年,同じく養子に迎えられていた上杉景虎(北条氏康の7男)を滅ぼし,謙信の後を継ぎ,越後春日山(新潟県上越市)城主になり,越後・佐渡・北信濃などを支配。1581年,織田信長軍と戦うが,やがて豊臣秀吉に屈伏。秀吉の小田原攻め,朝鮮への出兵(文禄・慶長の役)などにも参加し,秀吉晩年には五大老の1人として会津(福島県)120万石を与えられた。1600年,関ヶ原の戦いが起こると,石田三成と呼応して会津で兵を挙げ,徳川方の伊達氏・最上氏と戦い,最後の戦国大名としての意地を見せるが,関ヶ原の敗戦を知り,徳川家康に降伏する。翌1601年,会津領を召し上げられ,米沢30万石に封じられた。武勇にすぐれた実直で無口な武将として知られ,大阪の陣(1614,1615年)では徳川方に属し,奮戦も伝えられている。