(1861〜1930)明治〜昭和時代の宗教家。高崎藩(群馬県)の武士の子。札幌農学校でクラークの影響を受けてキリスト教徒となり,さらに渡米して神学を学んだ。帰国後,第一高等中学校の教壇に立ったが,教育勅語に対する不敬事件でやめさせられた。ついで『万朝報』の記者となり,日露戦争がおこりそうになると,人類愛の立場から非戦論をとなえて退社。以後は雑誌『聖書之研究』を出して自分のキリスト教信仰をのべ,信仰には教会はいらないという無教会派のキリスト教を開いた。著書は『予は如何にして基督教徒となりし乎』など。