えがわたろうざえもん【江川太郎左衛門】 (1801〜1855)江戸(えど)時代後期の伊豆(いず)国韮山(にらやま)(静岡(しずおか)県)の代官(だいかん)。名は英竜(ひでたつ)(龍)。高島秋帆(たかしましゅうはん)に入門して砲術(ほうじゅつ)の免許(めんきょ)をとり,西洋式砲術(ほうじゅつ)家として知られ,弟子に佐久間象山(さくましょうざん)・桂小五郎(かつらこごろう)(のちの木戸孝允(きどたかよし))がいる。ペリー来航(らいこう)のとき(1853年)は勘定吟味役格(かんじょうぎんみやくかく)という地位(ちい)につき,東京湾(とうきょうわん)の防備(ぼうび)に努力(どりょく)した。◇韮山(にらやま)にきずいた反射炉(はんしゃろ)は死後3年めに完成(かんせい)。外国船が開国をせまっていた時期,伊豆沿岸(いずえんがん)の防備(ぼうび)をかためることを幕府(ばくふ)に申(もう)し出た。