おおいしくらのすけ【大石内蔵助】 (1659〜1703年)内蔵助(くらのすけ)は通称(つうしょう)で本名は良雄(よしお)。江戸(えど)時代の武士(ぶし)。播磨(はりま)国赤穂藩(あこうはん)の筆頭家老(かろう)。元禄赤穂事件(げんろくあこうじけん)(『忠臣蔵(ちゅうしんぐら)』の元となった)において,主君であった浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の無念(むねん)を晴らすため,47人の赤穂義士(あこうぎし)(赤穂旧藩士(あこうきゅうはんし))の頭領(とうりょう)として吉良上野介(きらこうずけのすけ)を討(う)った。吉良邸(きらてい)への討(う)ち入りは元禄(げんろく)15年12月14日(1703年1月30日)深夜に実行され,元禄(げんろく)16年2月4日(3月20日),赤穂義士(あこうぎし)は切腹(せっぷく)を命ぜられ,その日のうちに絶命(ぜつめい)した。元禄赤穂事件(げんろくあこうじけん)は人形浄瑠璃(じょうるり)・歌舞伎(かぶき)『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』で広く知られるようになった。