(1793〜1837)江戸時代後期の儒学者。号は中斎。父のあとをついで大阪町奉行配下の与力をつとめたが,38歳のころに役人をやめ,自宅に洗心洞という塾を開いて陽明学(実践を重んじる儒学の一派)を教えた。天保のききんがおこると,大阪城内の非常用の米を分けて人々をすくうよう申し入れたが,ゆるされず,自分の蔵書を売りはらって,その金で人々を助けた。1837年,同志とともにききんに苦しむ人々をすくおうとして大阪で一揆を起こしたが,1日で鎮圧され,約40日の潜伏ののち自殺した(大塩の乱という)。
コーチ
幕府の元役人が
幕府直轄地の
大阪で起こした
反乱は,
不成功に終わったものの,
幕府に大きなショックをあたえた。