(1932〜2013)昭和・平成時代の映画監督。京都市生まれ。1954(昭和29)年に京都大学卒業後,松竹大船撮影所に入社。59年,『愛と希望の街』の脚本・監督でデビュー。60年の『青春残酷物語』で注目をあび,性や愛の暴力的表現や社会性から,吉田喜重・篠田正浩たちとともに「松竹ヌーベルバーグ」の旗手とよばれた。同60年公開の『日本の夜と霧』の上映中止問題で松竹を退社,以後,独立プロダクション,フリーランスで活躍した。76年の『愛のコリーダ』の過激な性表現は世界でも話題になり,78年の『愛の亡霊』でカンヌ国際映画祭監督賞受賞。83年の『戦場のメリークリスマス』も注目された。80年代以降はテレビの討論番組にも出演し,歯にきぬきせぬ激論で話題をよんだ。1996(平成8)年,脳出血で倒れ,長くリハビリ・療養を続けていた。99年,病をおして監督した『御法度』が遺作となった。