おおとものおうじ【大友皇子】 (648〜672)壬申(じんしん)の乱(らん)で敗死(はいし)した,天智天皇(てんじてんのう)の皇子(おうじ)。父の天皇(てんのう)に愛(あい)され,太政大臣(だいじょうだいじん)に任命(にんめい)された。天智天皇(てんじてんのう)がなくなると,天皇(てんのう)のあとつぎとされていた天智(てんじ)の弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)(のちの天武天皇(てんむてんのう))と皇位(こうい)を争(あらそ)い,壬申(じんしん)の乱(らん)にやぶれて自殺(じさつ)した。◇1870(明治(めいじ)3)年に第39代弘文天皇(こうぶんてんのう)とおくり名された。漢詩にもすぐれ,『懐風藻(かいふうそう)』に漢詩2首がある。