おおむらますじろう【大村益次郎】 (1824〜1869)明治維新(めいじいしん)期の兵学(へいがく)者。もとの名は村田蔵六(むらたぞうろく)。周防(すおう)国(山口(やまぐち)県)の医者の生まれ。緒方洪庵(おがたこうあん)の適塾(てきじゅく)に学び,宇和島藩(うわじまはん)(愛媛(えひめ)県)にまねかれて軍事設備(ぐんじせつび)を指導(しどう)したあと,長州藩(ちょうしゅうはん)(山口(やまぐち)県)につかえた。幕府(ばくふ)との戦(たたか)い(第2次長州出兵(ちょうしゅうしゅっぺい))や戊辰戦争(ぼしんせんそう)にすぐれた指揮(しき)をとり,明治新政府(めいじしんせいふ)では兵制改革(へいせいかいかく)につくしたが,反対派(はんたいは)の士族(しぞく)におそわれ,その傷(きず)がもとで死んだ。◇東京(とうきょう)の靖国(やすくに)神社の境内(けいだい)に銅像(どうぞう)がある。