松尾芭蕉の俳諧紀行文。『奥の細道』とも書く。1689(元禄2)年3月27日,46歳の芭蕉は門人の河合曽良を連れて,江戸を立ち,千住の宿(今の東京都荒川区)から奥羽・北陸への旅に出た。旅行の大きな目的は,さまざまな人々に讃えられた名所,松島と象潟をたずねることであった。その他,日光東照宮・白河の関・平泉・立石寺・出羽三山・山中温泉など,むかしから知られた各地の名所をおとずれながら日本海ぞいを南下。8月下旬美濃大垣(今の岐阜県)に到着した。行程600里(約2400km),約5か月にもおよぶ,芭蕉の生涯最大の旅行であった。旅の後,芭蕉は足かけ5年かけ,1694(元禄7)年に紀行文を完成させた。作品が出版されたのは,芭蕉の死後8年目,1702(元禄 15)年のことであった。作品の名前は本文中にある仙台の東北の道の名からとり,奥州路全体の意味をもたせている。
コーチ
この作品には,
日光の
東照宮でよんだ「あら
たふと青葉
若葉の日の光」,
平泉で「
五月雨の
降り
残してや
光堂」,
越後路の海岸でよんだ「
荒海や佐渡によこ
たふ天の
河」などの有名な
俳句が
含まれ,
芭蕉の
最高傑作の1つとされている。