*おざきゆきお【尾崎行雄】 (1858〜1954)明治(めいじ)〜昭和時代の政党政治(せいとうせいじ)家。号は咢堂(がくどう)。神奈川(かながわ)県の出身。慶応義塾(けいおうぎじゅく)を中退(ちゅうたい)後,新聞や雑誌(ざっし)の編集(へんしゅう)にたずさわった。大隈重信(おおくましげのぶ)らと立憲改進党(りっけんかいしんとう)の創立(そうりつ)に参加(さんか)し,1890年の第1回選挙以来(せんきょいらい),衆議院議員(しゅうぎいんぎいん)に連続(れんぞく)25回当選(とうせん)。その間,第1次大隈内閣(おおくまないかく)で文部大臣(だいじん),第2次大隈内閣(おおくまないかく)で法務大臣(ほうむだいじん)をつとめ,1903〜12(明治(めいじ)36〜45)年には東京(とうきょう)市長に就任(しゅうにん)した。コーチ 犬養毅(いぬかいつよし)とともに大正時代の護憲(ごけん)運動・普選(ふせん)運動の先頭に立ち,「憲政(けんせい)の神様」といわれた。