(1887〜1978)大正・昭和時代の社会運動家・政治家,第46代内閣総理大臣。和歌山県生まれ。東京帝国大学卒業後,1913(大正2)年に弁護士開業。キリスト教的社会主義の実現を目ざして安部磯雄のもとで社会運動に入る。26年,社会民衆党結成に参加。1930(昭和5)年,衆議院議員に初当選。第二次世界大戦の戦前戦中は法律面で社会運動を続ける。45(昭和20)年,日本社会党の結成に参加し書記長,翌年には委員長に就任。47年,戦後初の総選挙で日本社会党が第1党に躍進し,民主党・国民協同党との連立内閣を組閣,日本初の無産政党首班の内閣総理大臣に就任した。しかし,組閣時点から連立の足並みがそろわず,さらに社会党自体が分裂状態になり,48年2月,8か月あまりで総辞職。その後は右派社会党,日本社会党,民主社会党などに籍を移しながら活動,護憲運動,政界浄化運動,世界連邦運動などに従事した。