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かとうたかあき【加藤高明】

(1860〜1926)明治(めいじ・大正時代の外交官(がいこうかん政治(せいじ家。愛知(あいち県の出身。東京(とうきょう大学を卒業(そつぎょう後,三菱(みつびしに入って岩崎弥太郎(いわさきやたろうにみとめられ,その長女と結婚(けっこん。その後,外務省(がいむしょうにうつり,イギリス公使のあと,3度外務大臣(がいむだいじん歴任(れきにんし,第一次世界大戦(たいせんのさいには二十一か(じょう要求(ようきゅうを中国にみとめさせた。1924(大正13)年には第2次護憲(ごけん運動にくわわり,憲政(けんせい総裁(そうさいとして護憲三派内閣(ごけんさんぱないかくの首相となって,普通選挙法(ふつうせんきょほう治安維持法(ちあんいじほうを定めた。

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