かとりみわこ 【楫取美和子 】 (1843〜1921)幕末(ばくまつ)〜明治(めいじ)・大正(たいしょう)の女性(じょせい)。吉田松陰(よしだしょういん)の妹(いもうと)。はじめ杉文(すぎふみ)(文子(ふみこ)とも)と称(しょう)し,のちに美和子(みわこ)と改称(かいしょう)した。15歳(さい)のとき,長州藩(ちょうしゅうはん)で尊王攘夷(そんのうじょうい)派(は)の中心人物(ちゅうしんじんぶつ)であった久坂玄瑞(くさかげんずい)と結婚(けっこん)するが,1864年,玄瑞(げんずい)は禁門(きんもん)の変(へん)で自害(じがい)。1883年に楫取素彦(かとりもとひこ)(松陰(しょういん)と親(した)しい間柄(あいだがら)で,前妻(ぜんさい)は文(ふみ)の姉(あね),寿(ひさ))と再婚(さいこん)した。その後(ご),楫取美和子(かとりみわこ)として,貴族院(きぞくいん)議員(ぎいん)などの公務(こうむ)で多忙(たぼう)な素彦(もとひこ)を支(ささ)えた。