からいせんりゅう【柄井川柳】 (1718〜1790)江戸(えど)時代中期の俳人(はいじん)。江戸(えど)に生まれる。通称(つうしょう)は八右衛門(はちえもん)。川柳(せんりゅう)は号。浅草新堀端(あさくさしんほりばた)の名主(なぬし)(町役人)であったが,当時流行していた前句付(まえくづけ)(7・7の前句(まえく)を出題し,5・7・5の付句(つけく)を募集(ぼしゅう)して,すぐれた句(く)を世間に発表する)の点者(てんじゃ)(判定(はんてい)者)となって活躍(かつやく)した。かれのえらんだ句(く)は,はじめ川柳点(せんりゅうてん)といい,のち川柳(せんりゅう)とよばれるようになった。その中でとくにすぐれた句(く)を集めた『誹風柳多留(はいふうやなぎだる)』は,人々の間で大いに流行した。◇「木枯(こがらし)やあとで芽(め)を吹(ふ)け川柳(かわやなぎ)」が辞世(じせい)の句(く)といわれる。