きたいっき【北一輝】 (1883〜1937)大正・昭和時代の国家主義(しゅぎ)者。佐渡(さど)(新潟(にいがた)県)に生まれ,本名は輝次郎(てるじろう)。1906(明治(めいじ)39)年に『国体論及(ろんおよ)び純正(じゅんせい)社会主義(しゅぎ)』を自費出版(じひしゅっぱん)して,独特(どくとく)の社会主義論(しゅぎろん)を説(と)いた。中国の辛亥革命(しんがいかくめい)に参加(さんか)したが,やがて中国革命(かくめい)に情熱(じょうねつ)をうしない,1919(大正8)年,日本の国家改造(かいぞう)をくわだてて『日本改造法案大綱(かいぞうほうあんたいこう)』をあらわした。帰国後は右翼(うよく)の黒幕(くろまく)として活動した。1936(昭和11)年に陸軍(りくぐん)の青年将校(しょうこう)らが二(に)・二六事件(にろくじけん)をおこすと,その首謀(しゅぼう)者として死刑(しけい)となった。