きのしたりげん【木下利玄】 (1886〜1925)明治(めいじ)時代の末(すえ)から大正時代にかけての歌人。岡山(おかやま)県に生まれる。学習院中等科のときから佐佐木信綱(ささきのぶつな)の指導(しどう)を受け,短歌をつくっていたが,大学在学(ざいがく)中に,武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)や志賀直哉(しがなおや)らとともに『白樺(しらかば)』を創刊(そうかん)した。はじめは北原白秋(きたはらはくしゅう)の影響(えいきょう)をうけた感覚的(かんかくてき)な歌を発表していたが,しだいに写実的(しゃじつてき)で人間味にあふれた歌にかわった。歌集に『銀』『紅玉(こうぎょく)』『一路』などがある。◇「牡丹花(ぼたんか)は咲(さ)き定まりて静(しず)かなり 花の占(しめ)たる位置(いち)のたしかさ」。