県名の由来
もとは井の口といったが,織田信長が稲葉山城にうつってから岐阜とあらためた。「周の文王が岐山から天下統一を始め……」との中国故事にならったといわれる。
県庁所在地
県の面積
県の人口
県の代表的な伝統工芸品と祭り
〔伝統工芸品〕
○美濃焼 ○飛騨春慶塗 ○一位一刀彫 ○美濃和紙
〔祭り〕
○高山祭(高山市,4月14〜15・10月9〜10日)
位置・地形・気候
岐阜県は,本州のほぼ中央,中部地方西部にある内陸県である。東北部には3000mをこえる飛騨山脈,西北部には両白山地がそびえ,北から,飛騨高地・美濃三河高原・濃尾平野と,南へいくにつれて低くなって,濃尾平野の南西部は堤防にかこまれたゼロメートル地帯となる。
北部の山地からは,日本海側へ高原川・宮川が流れて,流域に小さな盆地をつくり,太平洋側へは飛騨川・長良川・揖斐川が流れて,下流で木曽川とともに濃尾平野をつくっている。
気候は,南部の美濃地方は,冬,晴天が多く,夏に雨の多い太平洋側の気候で,北部の飛騨地方は,夏すずしく,冬の寒さがきびしい内陸高地の気候である。
歴史
昔は北部の飛騨国と南部の美濃国に分かれていた。美濃は古くから交通の要地としてさかえ,飛騨は木工の地として知られた。
美濃は,南北朝時代以降約200年間,土岐氏が守護としておさめ,戦国時代には斎藤氏ののち,織田信長が支配した。
江戸時代には,美濃は多くの藩や旗本領,幕府直轄地に分けられ,各地の城下町がさかえ,地場産業も発達した。木材を産出する飛騨も直轄地とされた。
明治の廃藩置県で,美濃は大垣県など8県,飛騨は高山県となったが,のち統合されて岐阜県となった。
産業
農業生産額の割合は,米21%,野菜30%,畜産35%となっている(2009年)。稲作と野菜栽培は濃尾平野が中心であるが,飛騨地方では,夏のすずしい気候を生かして,ホウレンソウなどの野菜栽培がさかんである。また,飛騨地方では肉用牛の飼育がさかんで,「飛騨牛」の肉は高値で取り引きされる。
東部の木曽地方には,日本3大美林の1つであるヒノキの天然林があり,ヒノキの生産量は日本有数である。
工業は,軽工業が中心で,岐阜市の縫製,大垣市の紡績,羽島市の毛織物などの繊維工業と,多治見市・土岐市の陶磁器などのよう業・土石製品業の生産額はともに全国上位である。近年は,輸送機械や電気機器などの生産もふえている。
濃尾平野西部に広がる輪中地帯
濃尾平野の西部には,水面より低い土地が広がり,木曽川・長良川・揖斐川が集まって,伊勢湾に流れこんでいる。この3つの川が合流し,支流が網の目のように流れていた昔は,この地域は,土地が低いため,つねに洪水になやまされていた。人々は,洪水をさけるために,河岸に堤防をきずいたが,堤防は輪のように土地をかこんだので,堤防にかこまれた土地を輪中とよぶ。
輪中では,人々は少しでも高いところに家を建て,さらにもり土をして,洪水のときの避難場所として「水屋」とよばれる家屋を建てていた。
いまでは3つの川の流れが分けられ,川幅は広くなり,蛇行もなくなった。網の目のように流れていた支流は埋め立てられた。こうして輪中は少なくなり,高い堤防や排水施設によって洪水の心配も大きく減った。水はけの悪かった湿田の土地改良も行われた。かつては稲作にも苦労した輪中は,野菜を中心とした近郊農業地域に変貌している。都市化もはげしく,いまでは,洪水を知らない住民のほうが多くなっている。