きんもんのへん【禁門の変】 幕末(ばくまつ)(1864年),京都(きょうと)に出兵(しゅっぺい)した長州藩(ちょうしゅうはん)(山口(やまぐち)県)と朝廷(ちょうてい)を守護(しゅご)する薩摩(さつま)(鹿児島(かごしま)県)・会津(あいづ)(福島(ふくしま)県)などの諸藩兵(しょはんへい)とが,御所(ごしょ)の蛤御門(はまぐりごもん)の周辺(しゅうへん)でまじえた戦(たたか)い。蛤御門(はまぐりごもん)の変(へん)ともいう。1863年に京都(きょうと)を追われた長州藩士(ちょうしゅうはんし)は,勢力(せいりょく)を回復(かいふく)するために上京し,薩摩藩(さつまはん)・会津藩(あいづはん)などの兵(へい)と衝突(しょうとつ)してやぶれた。コーチ 禁門(きんもん)は,皇居(こうきょ)の門の意味。長州藩(ちょうしゅうはん)が朝廷(ちょうてい)に兵(へい)を向けたため,幕府(ばくふ)は朝敵(ちょうてき)を追討(ついとう)するとの名目で,2度にわたって長州出兵(ちょうしゅうしゅっぺい)を行うことになるが失敗(しっぱい)した。