くぎょう【公暁】 (1200〜1219)鎌倉(かまくら)時代初期(しょき)の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)の別当(べっとう)(長官(ちょうかん))。2代将軍(しょうぐん) 源頼家(みなもとのよりいえ)の子。父の非業(ひごう)の死が北条氏(ほうじょうし)のたくらみによると聞いていきどおり,1219年に鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)の社前で,おじにあたる3代将軍(しょうぐん) 源実朝(みなもとのさねとも)を公暁(くぎょう)みずから殺害(さつがい),いっしょにいた執権北条義時(しっけんほうじょうよしとき)は難(なん)をのがれた。このあと,三浦(みうら)氏をたよって将軍(しょうぐん)になろうとしたが,逆(ぎゃく)にころされ,源氏(げんじ)の血は絶(た)えた。