くどうへいすけ【工藤平助】 (1734〜1800)江戸(えど)時代中期の医師(いし)・知識(ちしき)人。紀伊藩(きいはん)(和歌山(わかやま)県)の藩医(はんい)の子で,仙台藩(せんだいはん)医(い)の家の養子(ようし)となった。医術(いじゅつ)よりも政治(せいじ)・経済(けいざい)に高い識見(しきけん)をもち,『赤蝦夷風説考(あかえぞふうせつこう)』をあらわして老中(ろうじゅう)田沼意次(たぬまおきつぐ)に提出(ていしゅつ)し,この結果(けっか),蝦夷(えぞ)地(北海道)の調査(ちょうさ)が行われた。