7〜9世紀に,日本から唐(中国)に送られた使節。
遣唐使の派遣
遣隋使にひきつづき,遣唐使は630年の犬上御田鍬の派遣に始まり,894年に菅原道真の提案によって廃止されるまで,十数回派遣された。目的は唐との友好をたもち,すぐれた唐の制度や文化をとりいれるとともに,朝鮮など東アジアの情報を得ることにあった。遣唐使船には大使・副使のほか,留学生や留学僧が乗りこみ,ふつう400〜500人が4せきの船で渡海した。最初は朝鮮半島ぞいの北路をとった。しかし,8世紀に新羅との関係が悪化すると,東シナ海の荒海を横断する南路がとられた。
コーチ
まだ造船や航海術が未熟であった当時,航海はたいへん危険で遭難することも多かった。
唐文化の伝来
危険をおかして唐にわたった人に,阿倍仲麻呂・吉備真備・玄・山上憶良・最澄・空海らの留学生・留学僧がおり,かれらがもたらした書籍や経典,また唐の新しい制度や文化は,日本の律令体制の整備や文化の発展に役だった。また,鑑真のように,たび重なる遭難にもめげずに遣唐使の帰国船で日本に来た僧もいた。